海桜

連作で描く桜のある風景

「海桜」のデザインについて

「海桜」「想い」「深海」は崖っぷちに咲く桜の木を描いた連作です。

背景を変えて描かれたそれぞれの桜。
時には優しく、また時には厳しい表情を見せています。

それは同じ桜の木でありながら、まるで違うものかのように感じさせます。
どんな場面になろうとも、踏ん張り、自分の芯の揺るがない人間でありたい。

そんなデザイナーの想いが込められた作品です。

古くから日本人の生活と根付いてきた桜の歴史

日本人にとってサクラの存在は抜きにして考えることのできない位置づけにあります。
いにいえから穀物の神が宿ると考えられ、農業をめぐっての神事ではつきものになっておりました。
日本全国各地に胃田植え桜と呼ばれる木があったことは、その関連の深さを如実に物語っていると言えましょう。
歴史を振り返りましても、豊臣秀吉は醍醐寺に700本の桜を植え、慶長3年には醍醐の花見として語り伝えられる盛大な花見を挙行したことは広く知られています。
明治維新が成った後は、大名屋敷の荒廃によって多くの庭園が破壊されていったのと合わせて、その庭園に植えられていた多くのサクラが伐採されていったことがありました。
惨状を目の当たりにして事態を憂慮した駒込の植木庭園職人の高木孫右衛門は、多くの採ってきては自宅の庭で育てることに踏み切ったのです。
この事実を知った江北地区戸長の清水謙吾が村おこしの一環として荒川堤に多彩な品種によるサクラ並木を作り上げ、これがきっかけとなって多くの種類のサクラの品種が小石川植物園に保存されることになりました。
それが奏功して、現代人も春ともなればサクラを愛でることができているのです。

風呂敷を豪華に彩る海桜柄

いまの日本の社会では、風呂敷は実用面ではあまり姿を見ることがなくなってきました。
そもそも、物を包む布の機能を持って使用されてきたのは、奈良時代にまで遡ることができるのです。
これは正倉院宝物の中に風呂敷が残っていて、それが舞楽の衣装包みとして使われていたことを示しております。こ
のときは、現在の風呂敷が持っていない、中身を固定する目的の紐が付けられていたのです。
それほど過去から日本では使用されていたのですが、社会の発展と共に活躍の場を失ってきた側面があることは否定できません。

とはいえ、昨今は環境問題が厳しく問われる時代になり、レジ袋すら栄元される状況となってきましたので、風呂敷が日の目を見る機会が増大するとも考えられます。
ファッション性を重んじる昨今では、海桜柄で彩られた風呂敷が人気を博することは当然です。

サクラの一本一本が生命感たっぷりに描かれているさまは、まさに豪華絢爛という言葉に尽きます。作者の魂の叫びが聞こえてくると言っても過言ではありません。

サイズと素材から選ぶ

サイズ 素材 詳細
2巾(70×70cm) ポリエステル100%(メロンアムンゼン) 通販はこちら

海桜 シリーズ

生産
日本製
デザイナー
中嶋 修一
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